nara-devatvam āpannaḥ
sura-kārya-cikīrṣayā
samudra-nigrahādīni
cakre vīryāṇy ataḥ param
[Śrīmad-Bhāgavatam 1.3.22]
18 番目の化身で、主はラーマ王として降誕した。半神たちを喜ばせるために、インド洋を操ったり、対岸に住んでいた無神論者ラーヴァナ王を殺害したりすることで、超人間的な活躍を世にしめした。
人格主神シュリー・ラーマは人間の姿をまとい、半神たちを喜ばせるために、あるいは宇宙の秩序を維持する行政管理者として活躍するために降誕しました。ラーヴァナやヒラニャカシプなど多くの悪魔や無神論者たちは、主が定めた秩序に対抗する邪心ゆえに物質的科学や同類の活動の力で物質文化を高め、ひじょうに有名になることがあります。たとえば、機械を使って他の惑星に行こうとする試みは、確立された秩序に対する挑戦です。各惑星の環境はすべて異なり、主の法典が述べている特定の目的にもとづいてさまざまな種類の人類が収容されています。しかし、わずかな物質的発達を遂げたことで横柄になった不敬な物質主義者が神に挑戦することがあります。ラーヴァナがその一人で、必要な資格を無視した方法で一般人をインドラの惑星(天国)に送りたいと考えていました。天国に届く梯子を築けば、その惑星に入るために必要な敬虔な暮らしをしなくてもいい、というのがその理由です。また、主が定めた原則に反することも目論んでいました。シュリー・ラーマという人格主神の権威に挑み、主の伴侶シーターを誘拐さえしたのです。もちろん主ラーマは、半神たちの祈りに応え、この無神論者を罰する行動に出ました。主はラーヴァナの挑戦を受けてたち、その冒険の一部始終が『ラーマーヤナ』に記録されています。主ラーマチャンドラは人格主神であり、物質的に優れたラーヴァナという人間にでさえ不可能な超人的な行動を見せることができました。主はインド洋上に道を作りましたが、それは水に浮かぶ石の橋です。現代科学者は無重力について研究はしているものの、無重力を作りだすことはできません。しかし、無重力現象そのものが主の創造物であり、主はその力で巨大な惑星を宇宙空間に浮かばせているのですから、地球上でも石の重さをなくし、橋脚を使わずに海上に石の橋を築きました。それが神の力の表われなのです。
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次は1969年3月27日、Śrī Rāma-Navamī, 主Rāmacandraの降誕日に行われたシュリーラ・プラブパーダの講話を参照した記事です。
[Brahma-saṁhitā 5.39]
これは、Brahma-saṁhitāからの一節で、 主Rāmacandraの化身について説明されています。Rāmādiと言われるものです。Rāmaだけでなく、他にも数えきれないほど多くの化身がいます。それらは川の波に例えられます。川や海の波が数えきれないように、至高主の化身がいくつあるかを数えることはできません。しかし、それらの中でも主要な名前が聖典に記載されています。したがって、「Rāmādi」と言われています。Rāmādiとは、Rāmaだけでなく、他の多くの化身も意味します。
そして、それらは存在しているのです。一つの化身が現れて、それで終わりというわけではありません。違います。そのようなことではありません。例えば、主Rāmacandraがこの惑星に現れたのは、何百万年も前のことです。主はTreta-yugaに現れました。Treta-yugaについて説明しますと、私たちは現在、Kali-yugaという時代の中でわずか5千年しか経過していません。その前にはDvāpara-yugaがありました。Dvāpara-yugaとは、80万年以上の年月を指します。そしてその前にはTreta-yugaがあり、これは120万年続きました。つまり、少なくとも200万年前に主Rāmacandraはこの惑星に現れたということです。
月齢9日目に主Rāmacandraが現れました。主の父はAyodhyāの王で、妻が3人いました。彼は4人の息子を得ました。Rāmacandraはその中で最年長の息子です。
主Rāmacandraの生涯と活動は、Rāmāyaṇaという書物に記されています。Rāmāyaṇaという名前は、あなたも聞いたことがあるでしょう。Rāmāyaṇaは歴史書としても受け入れられています。ヴェーダ文献は歴史でもあるのです。Purāṇas、Śrīmad-Bhāgavatam、Mahābhārata、そしてRāmāyaṇaは、すべて歴史の一部と考えられています。
Rāmacandraの歴史はこうです。Rāmacandraの父、Daśaratha王は引退したいと考え、Rāmacandraを王位に就けて自らは退位することに決めました。すべては整ったかのように見えましたが、ちょうどその前日、Daśarathaの最も若い妻が事態を全く違う方向に変えてしまいました。
ある時ダシャラタ王は「ひょう疽」と呼ばれる指の病気に悩まされていました。この王妃は彼をとてもよく世話し、王はとても喜びました。そして彼は言いました。「親愛なるシャルミシュター、もし私から何かの祝福を望むのであれば、私はそれを与えよう。」彼女は答えました。「今は必要ありませんが、必要なときにその祝福をお願いするつもりです。」
ですので、ラーマチャンドラの即位の前日、彼女は夫であるダシャラタ王の元に行き、こう言いました。「親愛なる夫よ、あなたは私に祝福を与えると約束しました。そして私は、必要なときにその祝福をお願いすると言いました。」
ダシャラタ王は言いました。「覚えているとも。それが今なのか?」彼女は答えました。「はい。」「それは何か?」、彼女は言いました。「ラーマチャンドラは王位に就くべきではありません。私の息子、バラタが王位に就くべきです。」王は驚きました。それはきつい要求でした。しかし彼は言いました。「わかった。そのようにします。。あなたの息子」
昔、王たちは…昔だけでなく、今日に至るまでインドでは多くのクシャトリヤの王たちが、複数の妻を持っていました。そして、当然のことながら、妻たちの間には競争や対立があります。だから、このようなことが起こったのです。人間の心理は同じです。たとえ200万年前でも、同じような心情がありました。そして彼女は言いました。「私の息子が王になるべきで、ラーマチャンドラではありません。」ラーマチャンドラは、上長の王妃カウシャリャの息子でした。
彼女は非常に巧妙でした。彼女の意図は、ラーマチャンドラを14年間、森に隠棲させることでした。その狙いは抜け目の無いもので、「王は今、私の息子を即位させることに同意するかもしれない。しかし、数日後、ラーマチャンドラが軍を率いて戻ってきた場合、王国を維持するのに困難が生じるかもしれない」と考えたのです。ですから、彼女はラーマチャンドラが森に行き、この日から、14年が経つまで戻ってこないように望んだのでした。
ダシャラタ王は同意しました。なぜなら、彼はクシャトリヤだからです。その約束があることをただ理解してください。クシャトリヤは約束を裏切ることはありませんし、どんな挑戦でも拒否することはありません。もしクシャトリヤが誰かに「戦いたい」と挑戦されると、彼はそれを拒否することができません。これがクシャトリヤの精神です。彼は「今は忙しい」と言うことができません。
例えば、誰かがあなたに「戦いたい」と言ってきたとします。あなたは「何を言っているんだ、戦うなんて馬鹿げている、時間がない。今は寺院にいるんだ」と言うかもしれません。しかし、クシャトリヤはそれを拒否することができません。クシャトリヤはすぐに「はい、来なさい」と答えなければなりません。そして、もし剣や武器を持っていなければ、武器を与えられて、戦わなければならないのです。これがクシャトリヤの精神です。彼らは非常に寛大で騎士道精神にあふれ、約束を守り、統治することへの強い意向を持っていました。彼らは支配するべき存在であり、統治者なのです。彼らの仕事です。
人々には、その階級に応じて、それぞれ異なった生計を立てる方法が規定されています。そして、ブラーマナは12の高い資質を備えていなければなりません。その資質については何度も議論してきました。その中で、真実味がbrāhmaṇaにとって最も重要な資質です。クシャトリヤは嘘をつくことが許されている場合があります。なぜなら、彼らは外交官や政治家でなければならないからです。しかし、brāhmaṇaは嘘をついてはいけません。これがカースト制度またはヴァルナアシュラマ制度のシステムです。
すべての人が訓練を受けました。なぜなら、社会にはこの4つの階級の人々が必要だからです。社会を正しく維持するためには、1つの階級は非常に知的で、高い能力を持ち、あらゆる善い資質を備えていなければなりません。彼らはそのように訓練され、理想的な人格を持つべきです。そうすれば、人々は彼らを見て手本とすることができます。そのため、brāhmaṇasは大いに尊敬されていました。なぜなら、彼らは理想的な人格を持ち、学識があり、神を敬い、精神的科学に精通していたからです。そのため、彼らは社会の中で最も高く評価され、最上位の存在とされていました。
次は支配者階級のクシャトリアです。彼らはいかにして殺害するかということを訓練されてきました。彼らは森で狩りをして殺害する技術を学ぶことが許されています。クシャトリアにとって必要だからです。もし彼が王ならば、悪事を働いた者を見咎めて、望めばその首を刎ねることが出来ます。王の権力は強大です。しかしながら、有事の際には、一般の兵士が戦地に赴き命を賭けている時に、玉座に心地良く座していることは許されません。
かつては、王や国家の指導者がまず戦場に赴くべきでした。クルクシェートラの戦いの絵を見ればわかるように、両軍の主要な戦士たちは、それぞれの戦車とともに戦列に並んでいました。決して、指導者や司令官が後方に避難し、自分の身を守りながら、貧しい兵士たちを戦場に投げ込むようなことはありませんでした。それがクシャトリヤ精神なのです。したがって、戦士としてのクシャトリヤの階級は、このような訓練を受ける必要がありました。
主クリシュナはこう言われました。「社会の4つの階級、すなわちブラーフマナ、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラは、私によって、それぞれの行いと資質に基づいて計画されたものである。」したがって、クシャトリヤの資質を持つ人々も、ブラーフマナの資質を持つ人々も必要であり、商業的な階級の人々も、労働者階級の人々も必要なのです。
かつての訓練がどのようなものであったか、理解して下さい。クシャトリヤは自らの誓いを破ることができません。例えば、マハーラージャ・ダシャラタは、末の王妃に与えた約束を果たすため、 彼の長男であるラーマチャンドラにこう言いました。「愛する息子よ、あなたは14年間森へ行かねばならない。 それが、あなたにとって最も年若い母の望みなのだ。 そして、私は彼女の願いを叶えると約束した。だから、どうか受け入れてくれ。」それを聞いたラーマチャンドラは、迷うことなくこう答えました。「はい、お父様。私は喜んで従います。」見てください、この精神を。
これが資質なのです。神の6つの豊かさのうちの1つの資質が、これなのです。
aiśvaryasya samagrasya
vīryasya yaśasaḥ śriyaḥ
jñāna-vairāgyayoś caiva
saṇṇāṁ bhaga itiṅgana
どのようにして神になるのか?神は投票によって作られるものではありません。神が誰であるかという定義が存在します。神はすべての富の所有者でなければなりません。
「aiśvaryasya samāgrasya」(富の完全なる所有者)「samāgra」とは「すべて」を意味します。誰も神と競うことは出来ません。この物質世界では、ある人が裕福であっても、別の裕福な人が彼と競うことができます。さらに裕福な者が現れ、競争は続きます。しかし、神の富に対しては、誰も競争することができません。 これが神の1つの資質なのです。
誰も「私は神よりも裕福だ」とは言えません。「私はフォードよりも裕福だ」とか「私はロックフェラーよりも裕福だ」などと主張することはできるかもしれません。しかし、誰も「私は神よりも裕福だ」とは言えないのです。だからこそ、バガヴァッド・ギーターにおいて、主クリシュナはこう述べています。「mattaḥ parataraṁ nānyat kiñcid asti dhanañjaya」(BG7.7)
「ダナンジャヤ」とはアルジュナの別名です。クリシュナは彼にこう言いました。「親愛なるアルジュナよ、私より偉大な者は誰もいない。」したがって、もし誰かが「自分は神だ」と主張するならば、彼は実際の例を示し、誰よりも裕福であることを証明しなければなりません。 これが最初の条件です。しかし残念なことに、私たちは多くの偽の神を受け入れています。 道端の愚か者でさえ、「私は神だ」と主張することがあります。同様に、他の神の資質の説明としては、誰も神よりも強くなることはできませんし、誰も神よりも賢くなることもできませんし、誰も神よりも美しくなることもできませんし、誰も神よりも大いなる放棄者(ヴァイラーギャ)になることもでき無いということがあげられます。
ここで、主ラーマチャンドラは、王国全体を簡単に放棄するという資質を示されました。それはただ父の命令に従うためでした。主は父に対してこう議論することもできたでしょう。「お父様、あなたはただ約束を守るために、そして1人の女性の言葉に従うために、このようなことをなさっているのです。これを止めましょう。明日には私の戴冠式が行われる予定で、民は皆、私を心から愛しているのです。」しかし、主ラーマチャンドラは決してそのような議論をせず、完全な従順さを示されたのです。
主ラーマチャンドラは、まさに人々の命そのものでした。ちょうどクリシュナが深く愛されたように、ラーマチャンドラもまた、民にとってかけがえのない存在だったのです。人々は翌日の戴冠式を心待ちにしていました。彼が王位に就くことを心から期待していたのです。そのため、街中を飾り立て、盛大に祝おうとしていました。しかし、ラーマチャンドラは決して議論することなく、即座に受け入れました。「はい、お父様。私は準備ができています。」これが、彼の従順さと偉大な精神なのです。
すると、ラーマチャンドラの弟の1人であるラクシュマナが願い出ました。「親愛なる兄上、どうか私もお連れください。 私は常にあなたのおそばにいるべき存在です。どこへ行かれるにも、ご一緒いたします。」すると、ラーマチャンドラは答えました。「それはあなたの意思次第だ。自らの意志で私と共に行きたいのならば、来るがよい。」次に、彼の若き妻、シーターも申し出ました。「私もご一緒いたします。」
"ラーマチャンドラは妻シーターにこう諭しました。「あなたは私と共に行くべきではない。それはとても過酷な道のりだからだ。あなたは王の娘として、大切に育てられた。 美しく、繊細なあなたには、森での苦しい生活は耐えられぬだろう。」すると、シーターは毅然として答えました。「私はあなたの正妻です。 どこへ行かれようとも、たとえ地獄であっても、 私はあなたと共にまいります。」
これこそ理想の妻です。彼女はこう言うこともできたはずです。「あなたの父上が森へ行けと命じられたのですから、あなた1人で行ってください。 私は父の家へ帰るか、ここに残ります。」しかし、彼女はそうしませんでした。これこそ理想の妻の姿です。夫がどのような状況にあろうとも、共に歩む覚悟がある。裕福なときだけ夫に忠実であり、貧しくなったり森へ行くことになったら見捨てる、そんなことはあってはなりません。妻とは夫の「もう半分」であり、常に寄り添う存在なのです。まるで影が実体に従うように、妻は夫の影のように付き従わなければなりません。夫がどこへ行こうとも、共に行く。夫が何を望もうとも、それを果たす。それが、本来の妻の姿なのです。
もちろん、この国ではこの解釈が異なり、「妻は夫の奴隷のように扱われるべきだ」と受け取られることもあります。しかし、実際にはそうではありません。シーターが森でさらわれたとき、ラーマチャンドラはすでにそれを予測していました。「シーターは美しく、若い。我々は開けた森にいる。もしかすると、悪魔が現れるかもしれない。」 そして、実際にその通りになったのです。シーターのために、ラーマチャンドラはラーヴァナの一族を皆殺しにしました。ただ、シーターを救うために。夫がそのようであるならば、妻もまた同じです。妻は夫に対してこれほどまでに忠実でした。決して独りで残ることはせず、夫と共に森へ行く決意をしたのです。そして夫もまた、妻に対してこれほどまでに忠実でした。「我が妻がさらわれた」と知ったその瞬間、彼はラーヴァナの一族を根絶やしにしたのです。
このように、これらは理想的な歴史の一例です。ラーマチャンドラ、すなわち主ラーマチャンドラは、この世界に降臨し、王とはどのようにあるべきかを教育し、理想的な王の姿を示されました。そのため、良い統治がなされるとき、例として挙げられるのが「ラーマ・ラージャ(Rāma-rājya)」です。それは「ラーマ王の統治」、すなわちラーマの王国のことです。なぜなら、その時代にはすべての人々が幸福であったからです。ラーマチャンドラの生涯には、そのような多くの逸話があります。
ある日、ある人物がラーマチャンドラのもとを訪れました。当時は現在のような裁判所は存在せず、訴えを起こすのに申請書を出し、印紙代を払い、そして6年後に判決が下されるといった制度はありませんでした。その代わりに、誰でも不満や問題があれば王のもとへ直接行くことができました。王は公開の場で座し、市民は自由に王に訴えを申し出ることが許されていました。しかし、実際には不満を訴える者はほとんどいませんでした。なぜなら、誰もが幸福に暮らしていたからです。訴えがあるとしても、ごく些細なものでした。
ある人物がラーマチャンドラのもとに現れ、彼に次のように訴えました。「親愛なる王よ、私の息子が亡くなりました。どうして、父のもとにいるはずの息子が死んでしまうのですか?あなたの治世に何か問題があるに違いありません。」その訴えは、「なぜ私の息子は、私が死ぬ前に亡くなってしまったのか?これは不自然だ」というものでした。もちろん、何も不自然なことはありませんでした。しかし、王は、厳しい寒さや激しい暑さに対しても責任を持っていたのです。これは『シュリーマド・バーガヴァタム』の歴史にも記されています。つまり、王たちは非常に責任感が強く、市民の幸福を常に考えていました。そして、市民もまたとても素晴らしいものでした。
ある市民が主ラーマチャンドラのもとにやってきました。その側近である弟のラクシュマナが報告しました。「この方はブラーフマナです。あなたが巡幸で不在だった間、たしか半月か1か月ほどでしょうか、このブラーフマナは水一滴すら口にしておりません。」「なぜだ?」とラーマチャンドラが尋ねると、ラクシュマナは答えました。「彼はあなたに会うため、ダルシャナ(聖なる御姿を拝見すること)を求めてここへ来ているのです。」
ちょうど私たちが寺院に来て神像(デイティ)を拝むように、主ラーマチャンドラが直接この世におられたとき、人々は彼のもとへ行っていました。そのブラーフマナも毎日ラーマチャンドラを拝み、礼拝を捧げた後に帰宅し、食事をとるという誓いを立てていました。しかし、ラーマチャンドラが政務のため巡幸に出かけ、半月から1か月ほど不在だったため、このブラーフマナはラーマチャンドラを拝むことができませんでした。そのため、彼は一切の食事を取らなかったのです。これを見ても、臣民は王に感化されるものだということがわかります。
その当時、ラーマチャンドラの像があり、それはマハーラージャ・イクシュヴァーク(Ikṣvāku)王の代から家族で崇拝されていました。マハーラージャ・イクシュヴァークはマヌの息子であり、ラーマチャンドラが生まれた王家の祖先にあたります。彼は主ラーマの偉大な献愛者であり、主ラーマの像を崇拝していました。その像は代々、王家の中で引き継がれ、崇拝され続けていました。
しかし、ラーマチャンドラが実際にこの世に存在していたとき、その像は部屋の奥にしまわれていました。そして、このブラーフマナがラーマチャンドラのもとを訪れたとき、彼の堅固な誓いについてラクシュマナがラーマチャンドラに報告しました。すると、ラーマチャンドラは「私が不在のときでも、彼がこの像を通じて私に敬意を表し、礼拝を続けられるように」と、その像を彼に授けるよう命じました。このラーマチャンドラの像(アルチャ・ムルティ)は、現在も南インドに現存しており、当時から変わらず崇拝され続けています。
このように、ラーマチャンドラの行動は常に理想的なものでした。それから、主は弟のラクシュマナと妻のシーターとともに森へ向かいました。しかし、シーターは悪魔ラーヴァナの策略によって誘拐されてしまいました。そして、ラーマとラーヴァナの間で戦いが繰り広げられました。ラーヴァナは物質的には非常に強大な力を持っていました。しかし、ラーマチャンドラはラーヴァナと戦うために、自らの王国へ戻って軍隊を招集することはしませんでした。いいえ、主は戻らなかったのです。なぜなら、主は森で暮らすよう命じられていたからです。
そこでラーマチャンドラは、森の動物たち、つまり猿たちを集めて軍隊を編成しました。主は猿たちとともに、強大な物質的勢力を持つラーヴァナと戦いました。皆さんもその絵を見たことがあるでしょう。さらに、ラーマチャンドラはインドの最南端から対岸へと橋を建設しました。セイロン(現在のスリランカ)は、ラーヴァナの王国であったとされています。その橋は特別で、石が水に浮かんだのです。
ラーマチャンドラの生涯には、多くの歴史的な出来事があります。私たちはそれらを思い出すべきです。なぜ今日、ラーマチャンドラのために断食をしているのかを理解するためにも重要です。ラーマチャンドラのような王は他にも多くいました。なぜなら、当時の王たちはそのように訓練されていたからです。マハーラージャ・ユディシュティラもラーマチャンドラと同じくらい偉大な王でしたし、マハーラージャ・パリクシットも同様でした。偉大な王は数多くいました。しかし、私たちがラーマチャンドラを崇敬するのは、単に王であったからではありません。主はすべての王の中の王、つまり パラメーシュヴァラ(至高の支配者)であるからです。主は神であるがゆえに、私たちは今日この日を祝っているのです。
[Brahma-saṁhitā 5.33].
「ananta-rūpam」 とは、無数の姿、つまり何百万、何千万もの形を持つという意味です。マヌもまたクリシュナの化身の一つです。ブラフマーの1日は 14人のマヌ が存在ています。そして、ブラフマーは 100年間 生きるとされています。考えてみてください。1人のブラフマーの生涯の間に、どれほど多くのマヌの化身が存在することでしょうか。そして、無数のブラフマー が存在するのです。『シュリーマド・バーガヴァタム』 には、「神の化身の数は誰にも数えきれない」と記されています。しかし、主要な化身のいくつかが述べられており、その中の一つが 主ラーマチャンドラ です。
しかし、ラーマチャンドラは セイロンを征服するために行ったのではありません。主自身が皇帝ですからその必要はありません。ただ悪党であるラーヴァナを征伐するために向かいました。ラーヴァナを討ち取った後、ラーヴァナの弟であり、敬虔なヴィビーシャナを王として即位させました。その後、シーターと共に帰還し、14年の追放期間 を経て、再びアヨーディヤーの王位に就きました。主の弟 バラタは、ラーマチャンドラが不在の間、主の意向を忠実に守り続けました。実際、ラーマチャンドラはバラタにこう伝えました。「あなたの母は、あなたが王になることを望んでいる。そして私も、不在の間はあなたが王位を継ぐべきだと思う。」
しかし、バラタは非常に忠実な弟であり、こう答えました。「いいえ、あなたこそが王です。あなたが生きている限り、誰も王にはなれません。だから私は王にはなれません。」すると、ラーマチャンドラはバラタに頼みました。「それならば、せめて国政を執り行ってくれ。」なぜなら、ラーマチャンドラが森へ旅立った後、父である マハーラージャ・ダシャラタ は、その悲しみに耐えられず、亡くなってしまったからです。ダシャラタ王にとって、ラーマチャンドラは最愛の長男であり、次期王として期待されていました。しかし、自らの誓いを守るために、彼を森へ送らねばならなかった のです。そのショックはあまりにも大きく、王はついに息を引き取ってしまいました。
Rāmacandraの生涯、神の活動、そしてそのリーラ(遊戯)を聞くことは、すなわちラーマチャンドラと交わることを意味します。なぜなら、神のお姿・御名・遊戯・ご自身、そのすべてが同一であり、絶対的な存在であるからです。したがって、「ラーマ」の御名を唱えること、ラーマの御神像を拝むこと、ラーマの超越的な遊戯について語ることこれらすべてが至高人格神であるシュリー・ラーマチャンドラとの直接的な関わりとなるのです。
したがって、私たちは神の化身がお現れになったり、あるいはこの世を去る特別な日を利用して、その御方と交わるよう努めます。その交わりによって、私たちは浄化されます。私たちの実践する道は、浄化のプロセスです。クリシュナ意識とは、単に私たちの意識を浄化することにほかなりません。
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brāhmaṇā ūcuḥ
pārtha prajāvitā sākṣād
ikṣvākur iva mānavaḥ
brahmaṇyaḥ satya-sandhaś ca
rāmo dāśarathir yathā
[Śrīmad-Bhāgavatam 1.12.19] 博識なブラーフマナたちが言った。「プリターの子よ。この子は、この世に誕生する者すべての維持者として、まさにマヌの子息であるイクシュヴァーク王のようになる。そしてブラフマンの原則に従うことでは、とくに約束に誠実であることについては、マハーラージャ・ダシャラタの子息、人格主神ラーマその方に匹敵する存在になるだろう」
Prajä(プラジャー)は、物質界に生まれる生命体のことです。じっさいには生命体は生まれも死にもしませんが、主への奉仕から離れ、物質自然界を支配する望みのために、物質的望みを満たすにふさわしい体を授かっています。そうすることで、私たちは物質自然の法則に条件づけられ、肉体はその活動に応じて変化します。こうして生命体は840万種類の生物種のなかで、ある体から別の体に転生していきます。しかし、主の部分体であることから、生活に必要なものすべてを主から授かっているだけではなく、主や主の代表者、すなわち神聖な国王によって守られています。神聖な国王はすべてのプラジャー・生物が生きつづけられるように、そして物質界での幽閉の歳月をまっとうできるよう守ります。
Lord Räma(主ラーマ) 至高人格主神はシュリー・ラーマとして降誕し、アヨーデャーの王で、純粋な献愛者だったマハーラージャ・ダシャラタの子息となりました。主ラーマは、弟として誕生した自らの完全分身たちとともに降誕しています。主は、トゥレーター・ユガにおける月が満ちて9日目のチャイトゥラの月に現われ、化身の使命として宗教原則を確立させ、混乱の原因を取りのぞきました。少年だったころ、主はスバフを、そしてマーリーチャという魔女を殺し、大聖者ヴィシュヴァーミトゥラを助けました。当時、悪魔たちが聖者たちの日々の義務の執行を邪魔していたからです。ブラーフマナとクシャトリヤには大衆の幸福のために協力しあう義務があります。ブラーフマナでもある聖者は、完璧な知識で人々を啓発させるよう精励し、クシャトリヤにも市⺠を守る義務があります。主ラーマチャンドラ
は、ブラフマニャ・ダルマという人類の最高の文化を維持・守る理想的な王です。主は、とくに乳牛やブラーフマナの保護者であり、そのようにして世界を繁栄させます。主は、ヴィシュヴァーミトゥラという代表者をとおして、管理する立場にいる半神たちに効果的な武器を与え、悪魔たちを征服させました。またジャナカ王の弓の儀式に参加し、シヴァの無敵の弓を真っ二つにして、王の娘シーターデーヴィーと結婚しました。結婚したあと、父のマハーラージャ・ダシャラタの命令に従い、14年間におよぶ森での追放生活に耐えました。半神たちが宇宙を管理できるように、14,000人の悪魔を殺害しましたが、かれらの奸策のために妻シーターデーヴィーはラーヴァナによって誘拐されます。主はスグリーヴァと兄弟のちぎりを交わし、スグリーヴァは主の助けを借りて兄のヴァリを殺すことができ、主ラーマの助けを借りてヴァーナラス(ゴリラ族)の王になりました。主はインド洋上に石の橋を浮かべ、シーターを誘拐したラーヴァナの王国ランカーに攻めいりました。後に、ラーヴァナは主の手で殺され、ラーヴァナの弟ヴィビーシャナがランカーの王座に就きます。ヴィビーシャナは悪魔ラーヴァナの兄弟の一人ですが、主ラーマの祝福によって不死の身になりました。14年の歳月が過ぎ、ランカーの国勢を収めたあと、花の飛行船に乗って自分の王国アヨーデャーに戻りました。弟のシャトゥルグナに命じて、マトゥラーに君臨していたラヴナースラを攻撃させ、この悪魔は殺害されました。主ラーマはアシュヴァメーダ儀式を10回執行し、そののち、シャラユ川で沐浴していたとき、忽然と姿を消しました。『ラーマーヤナ』は偉大な詩人ヴァールミーキによって著された偉大な叙事詩で、主ラーマのこのような冒険が描写されています。