マハラジャ・ユディシュティルの理想王国-完璧な王
誰もが偉大な叙事詩『マハーバーラタ』について耳にしたことがあるに違いない。5000年前、この惑星の人々がどれほど幸せだったかを理解しよう。
Srimad Bhagvatam 1.10.4 解説から
経済発展の基本原則は土地と牛です。社会に必要なものは、穀物、ミルク、鉱物、衣服、
木材などで、だれでも、体の要求を満たすためにこのような物資が必要とされます。肉、
魚、鉄の道具や機械などが必要ではないことはあきらかです。マハーラージ・ユディシュ
ティラの統治時代、世界には雨が規則的に降っていました。雨は人間に支配できません。
天国に住むインドラデーヴァは雨を支配し、また主の召使いでもあります。王が、そして
王に統治される臣⺠が主に服従すれば、空から規則的に雨が降り、その雨が大地のさまざ
まな生産物を作りだしてくれます。規則的な雨は穀物やくだものを豊富に作りだし、また
星々の影響力と相まって、貴重な宝石や真珠が作りだされます。穀物や野菜は人間や動物
の豊かな食料となり、よく肥えた牛は、気力や活力を供給するミルクを私たちに豊富に提
供してくれます。十分な牛乳、穀物、くだもの、綿、絹、宝石などがあったら、映画や売
春窟、屠殺場がいるでしょうか。映画、車、ラジオ、肉、ホテルなど、そのような不自然
なぜいたくな生き方がはたして必要でしょうか。現代文化は、個人と国家が争う原因だけ
を作りだした、とは言えないでしょうか。平等とか同胞愛を高めているとはいっても、そ
のじつ、個人の気まぐれから多くの人を悲惨な工場や戦場に駆りだしているのではないで
しょうか?
この節にあるように、牛たちの乳房はミルクを豊かに含み、そして幸福感につつまれて
いたため、あふれだすミルクで牧草地を濡らしていました。ですから、牛たちには牧草地
でたくさん草を食べさせて幸せに暮らせるよう見守ってあげる必要があると思いません
か? 人間の身勝手な目的で牛たちを殺す必要がどこにあるのでしょう。混ぜ合わせて調
理すれば何百何千というおいしい料理が作られる穀物、くだもの、ミルクで満足すべきで
はありませんか。なにも悪いことをしていない動物たちを殺す屠殺場が、どうして世界中
に作られているのでしょう。マハーラージャ・パリークシットの孫のマハーラージ・ユデ
ィシュティラは、広大な王国を旅していたとき、⿊い肌の人間が牛を殺そうとしているの
を見つけました。王はすぐにその虐殺者を捕らえ、十分に罰しました。王や国の指導者は、
自分では身を守ることのできないかわいそうな動物たちの命を守るべきではないでしょう
か。殺すのが人間性でしょうか? 動物も国⺠ではありませんか? 国⺠なら、なぜ屠殺
場で組織的に殺されるのが許されるのでしょう? それを平等、同胞愛、非暴力とでも言
うのですか?.
ですから、この現代的・先進的・文化的といわれる政府と比べれば、マハーラージ・ユ
ディシュティラのような君主制は、動物を殺したり、動物以下の人間が、別の動物以下の
人間に投票で選ばれたりするような⺠主主義よりもはるかに優れていることがわかります。
私たち物質自然界の生物です。『バガヴァッド・ギーター』では、主がその種を与えた
父親で、物質自然があらゆる種類の生物の⺟親である、と言われています。ですから、⺟
なる物質自然は、父なる全能者・シュリー・クリシュナの恩寵をとおして、動物にも人間
にも十分な食糧を用意しています。人間は、他の生物たちの兄です。動物たちよりも優れ
た知性が与えられ、自然の法則や全能の父の教えが理解できます。人間文化は自然界の産
物に依存すべきであり、倒錯した贅沢と感覚満足のためだけに経済発展をむやみに求め、
世界を忌まわしい貪欲と権力の錯乱状態に陥れてはなりません。それでは犬や豚の生活と
変わりがないのです。
Srimad Bhagvatam 1.10.5 から
川、海、丘、山、森、つる草、薬草などが、季節をとおして、自分たちに課せられた税
として王に余るほどに貢献した。
要旨解説
マハーラージ・ユディシュティラはアジタ(ajita)完全無欠の主に守られていたため、
この節の説明のように、主の所有物、すなわち川、海、丘、森などがすべて喜びに満ち、
各自の税として王に自らをささげました。成功の秘訣は、至高主の保護に身をまかせるこ
とにあります。主の許しがなければなにも達成できません。道具や機械の力に頼って努力
して経済を発展させても、それですべてが満たされるわけではありません。至高主の許可
が必要なのであり、それがなければ、どれほどの道具を使ってもすべては失敗するばかり
です。成功の究極原因はダイヴァ(daiva)・至高者です。マハーラージ・ユディシュティ
ラのような王は、「王とは一般大衆の幸福のために働く至高主の代理者である」というこ
とをよく知っています。結局、国は至高主のものです。川、海、森、丘、薬草など、どれ
も人間が作りだしたものではありません。すべて至高主の創造物であり、私たちは、主へ
の奉仕のために主の所有物を使うことを許されているのです。よく口にされるスローガン
は、「すべては人々のためにある」と謳われ、政府も人⺠のために、人⺠によって動かさ
れています。しかし、神の意識と人間生活の完成にもとづいて、つまり神の所有物を共有
するという神聖な共産主義にもとづいて新しい人間社会を作りだすためには、世界はマハ
ーラージ・ユディシュティラやマハーラージャ・パリークシットのような王の足跡に従わ
なくてはなりません。主が配慮しているからこそ世界にはすべてが十分にあり、人間同士
の敵意、動物と人間の敵意、あるいは動物と自然の敵対もなく、それらを正しく使って快
適に暮らすことができます。主の支配はすみずみに行き届き、主が満足すれば自然界のす
べても満足します。川は豊かに流れ、土地を肥やします。海は十分な量の鉱物、真珠、宝
石を産出します。森は十分な木材、薬草、野菜を提供し、さまざまな季節は私たちがくだ
ものや花を豊富に生産できるよう力を貸してくれます。工場や道具に頼るという不自然な
生活は、膨大な資金を使って限られた人々だけに幸福を提供します。大衆の力が工場での
生産に使われ、自然な産出が妨げられるために、大衆は幸福になれません。人々は適切な
教育を受けていないために、自然の資源を搾取しながら、他人から与えられた関心事を満
たすために働いており、その結果、個人と個人、国家と国家のあいだで深刻な競争が起こ
っています。主の訓練を受けた代理者による正しい管理体制は、いまどこにもありません。
私たちは、この節の記述を照らしあわせて現代文化の欠陥を調べ、マハーラージ・ユディ
シュティラの足跡に従い、そして人間社会にある穢れを清めて時代錯誤を取りはらわなく
てはなりません。
Srimad Bhagvatam 1.10.6 から
王にまったく敵がいないために、どの生物も、心の苦しみ、病気、酷暑酷寒に乱される
ことがなかった。
要旨解説
人類には暴力をふるわない、そのいっぽうで哀れな動物の殺戮者や敵になるのは悪魔の
哲学です。現代人は動物たちをないがしろにし、そのために哀れな動物たちはいつもおび
えています。哀れな動物たちの心の動きは人間社会にのしかかり、人間社会は個人的・集
団的・国家的規模の寒々しい、そしてただならぬ緊張感にさらされています。マハーラー
ジ・ユディシュティラの時代には、従属する関係にあった国はありましたが、1つの国名
のもとで治められていました。全世界が統一され、訓練を受けたユディシュティラ王のよ
うな人物が君臨し、住⺠をあらゆる不安、病気、酷暑酷寒から守っていました。経済的に
恵まれていただけではなく、だれもが健康で、自然の力に苦しめられることなく、他の生
物からの危害もなく、体や心のために苦しめられることはありませんでした。ベンガル語
のことわざでは、邪悪な王が国を破滅させ、悪妻が家族を破滅させる、と言われています。
この真理はこの節を見ても明らかです。王は敬虔で、神や聖者に従順で、だれの敵でもな
く、主の代理者として認められ、だからこそ主に守られているため、王の保護下にあるす
べての国⺠は主に守られ、さらに主の権威ある代理者に直接守られていました。敬虔で主
に認められていなければ、自分に従う人々を幸せにすることはできません。人間と神、人
間と自然のあいだには完全な協調関係があり、互いに助けあえば、ユディシュティラ王が
しめしたように、世界は幸福・平和・繁栄につつまれます。いまでは当然のようにおこな
われている互いを食い物にする風潮は、社会に苦しみを作りだすだけです。
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